此花区西九条とは

大阪にある此花区西九条の地域情報を更新していきたいと思います。

まずは、区名の由来や歴史の情報を掲載しています。

区名

此花区は1925年(大正14年)、大阪市西区に属していた現在の此花区周辺と、北区に属していた現在の福島区周辺が、元の区から分離して合わさることで新設された。
新しい区の名前を巡っては市会などで議論があり、玉川区・福島区・野田区・朝日区・四貫島区など、各地域がそれぞれの地元の地名を区の名前にしようとした。結局、王仁が詠んだとされる難波津の歌(「難波津に咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」)から此花区という名に決まった。

歴史

かつては淀川河口のデルタ地帯で多くの中洲があり、中でも伝法が漁村として栄え、仏教渡来の地とされる伝法山西念寺が大伽藍を誇っていた(廃仏毀釈で縮小した)。江戸時代には新田開発が進み、開発者の名前などにちなんだ地名が多い。
伝法口と呼ばれた伝法川の河口には大きな澪標(みおつくし)が立てられ、大坂市街へ遡上できない大型船から小舟に積み替える地であった。伝法村は廻船業を営む者が多く、樽廻船の発祥地でもある。しかし、1683年(天和3年)に安治川が開削されると伝法の港湾としての地位は低下した。一方、安治川沿いは繁栄し、西九条のうち春日出橋以東の安治川沿いは大坂市街に含まれるようになった。

ウィキペディアより

今後共宜しくお願い致します。

コメント

タイトルとURLをコピーしました